宗教と科学の折り合い

『ダライ・ラマ自伝』という本を読み終えた。
ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)
チベットvs中国の現在進行形の不幸が重要なテーマだが、そんな大層な話題について私ごときが語れるはずはない。それよりも、本書の一部で宗教と科学について師が語っている内容が興味深かった。

宗教と科学を如何に折り合いを付けるかという命題は、ダライ・ラマでなくとも、すべての20世紀の宗教家にとって大きなテーマなのではないかと思う。幸か不幸か中世以前の宗教家には無かった悩みであろうから、現代の宗教家はなかなか大変だろうなと、勝手ながら俗世から眺めさせてもらおう。

ある神秘的な儀式の冠する科学的な実験要望に言及して、それを否定できず、かつ、賛成もしきれずに、

実に残念ながら、そのような実験を行える人物が未だこの世に現れていない!

と応えざるを得なかったと吐露されると、思わずニヤッとしてしまう(笑)

(如何わしい新興系を除き)宗教とは数千年間の人智の凝縮であり、科学とは数百年の自然観察の大成である。

そうそう簡単に折り合えるものではない。

ちゃんと棲み分けて、適度な緊張感で対峙するからこそ両者の価値があり、どちらかがどちらかを包含してしまえば、面白くない。